2011年10月27日木曜日

The Barrel Law バレル法 قانون البرميل


久しぶりの投稿!
実は、いろいろ書きたいことはあるのだけれど、なかなか書く暇というか機会がこのところなかった。
今夜からズ・ル・ヒッジャ月ということで、クルアーンを読んでいるときに思い出した(不謹慎ですみません)動画を、少し訳を付けながらご紹介できたらと思います♪

この動画の元リンクはこちらです。

詳細を調べずに紹介するのも申し訳ないのですが、これはおそらく何かの番組のシリーズものの一つです。
先輩がメールで教えてくれたのがきっかけ。
ジャザーハッラーフハイラン…

では。
Dr.アムジャドの説明を見ていきますか。
今回のテーマは、「バレル法」(←日本語に訳すとこう出てきた…合ってるかな)


率直に言うと、20ディーナール(どこの通貨だろ…)をサダカするって、現代じゃあホント、重大事だよね。


で、たくさんの人が幸せを感じられない。
良いことをたくさんするのに。ある人は礼拝を欠かさずにするし、ある女の子はヒジャーブをきちんとしちてる…でも…二人とも実は、礼拝中に精神の高揚を感じたことはなく、フシューウ(畏敬の気持ち)って何だろう?知りたい!という気持ちでいっぱいになってるほどなんだ。

ヒジャーブしている女の子たちの中に、心苦しさを感じてる人たちがいる。
自分たちの信仰と意志で、ヒジャーブしているにもかかわらずだ。

どうしてこうなるんだろう?

何が起きているんだろう?

実用論理はこのように説明します。

信仰心あるムスリム+良いニーヤ+善行=アッラーの許での報奨。
そしてアッラーの御満、そして、現世と来世の幸せを得られます。
これって超簡単な方程式だよね。


なのに、僕たちの心には、同じ質問がいつも浮かぶんだ。

自分は悪い人間ではない、善行が好き、意志も純粋だ。
でもどうして、信仰の甘美さを感じられないんだろう?
いろんな先生たちから聞く、あの魂の喜びを。

みんな、バベル法って聞いたことある?


幸福感が得られないこと、魂の満足の不在は、はっきり言うと、僕たちそれぞれの内面にある信仰心のパワーの弱さから来てるんだ。

このバレル法がその原因を解説してくれるよ。

じゃあ、バレル法って何なのかをまず知ろう。

人間の信仰心を、ドラム缶に例えてみよう。
開いたこの缶に、数本のホースが突っ込まれている。
このホースは、僕たちの善行を心に注入してくれているんだけど、
一種類の行為に、ホース一本があてがわれている。


礼拝すると、信仰心パワーが注ぎ込まれる。
視線を低めると、信仰心パワーが注ぎ込まれる。
こんな感じで、パワーが溜まっていくんだ。


ほら、どんどん溜まっていくでしょう。
(右から:斎戒、サダカ、礼拝、視線の低下)

ここで一つ、みんなに言っておきたい、足りないものがあるんだ。

こういった缶には大抵、下の方に蛇口が付いていて、
中の水を流す仕組みがある。
大きい蛇口もあれば、小さいのもある。

この蛇口は、悪行や罪の蛇口なんだ。


これ深刻だ。

通常、蛇口が閉じていれば、信仰のパワーは溜まる。
それと同時に、君は安心感や満足感や信仰の高まりを感じられるわけだ。


でも、大抵の場合、蛇口たちは開いてしまっている。
なので、善行が行われても、同時にそれが缶の外へ流れて行ってしまう。
つまり、大きな空洞が出来てしまうということ。


この蛇口を毎日増やしてしまう人もいるんだ。
問題だよね。

じゃあ分かりやすく説明してみよう。

礼拝の務めを守り、サダカもする人。でも、女に目のない人。

ヒジャーブd( ^ω゚ )バッチリ!!。なのに、おしゃべり好きな人(6mの舌の持ち主!)。


主婦同士で集まっての、おしゃべり。
噂話や誰かさんの悪口で盛り上がってる。

ここで、バレル法。

善行のホースを増やす方法を考えると同時に、
それらが流れてしまう蛇口を閉じることも考えないといけないんだ。

方程式は、簡単で、明解で、全然難しくない。
(動画終わり)

…とこんな感じだけど、分かりやすくてしかも面白くないですか?
また機会があれば、他の動画も見てみたいと思いました(*^^*)

おわり

2011年9月30日金曜日

世界中で1番素晴らしい女性

今回も転載です!
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イスラーム学びチームからお送りします。

今週のトピック 世界中で1番素晴らしい女性のお話です。

アッサイイダト ファーティマ ビント ムハンマド(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)様(彼女の上にアッラーのご満悦あれ)

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の一部、―番お好きな方、一番似ていたお方(お顔、言葉、歩き方、座り方など)です。

あだ名は、彼女の父の母(ダウワをする父の世話をし、支えていました。)、アッザハラーゥ(輝くばかりに白い)これは、信仰による顔の輝き、月の輝き、肌が白いという意味が含まれていました。彼女は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の結婚10年目にお生まれになられ4歳の時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の預言者として選ばれる前触れが始まり(イルハーサート)これらの事(ヒラー洞窟に籠る、道端の石や木が挨拶をする等)を身近に見、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が啓示を受けてからは、クルアーンと一緒に育ちました。

8歳の頃には、ダウワが公然化され、生活が一変し、姉2人の離婚、クライシュ族のボイコット、その後の母の死等苦労と忍耐とジハードの連続でした。
バトルの戦いから数カ月後、アリー様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)と結婚しました。お2人の結婚に際し預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はアッラーに、この2人に祝福を与え、かれらの子孫に祝福を与えて下さるようドアーをされました。
預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)にそっくりでいつも一緒にいたハサン様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)、フセイン様(彼の上にアッラーのご満悦あれ)が誕生、預言者様の家系はこのお2人からきています。

ファーティマ様(彼女の上にアッラーのご満悦あれ)は、日頃からとても大変な家事をされました。
国家の長である預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の四女であるファーティマ様(彼女の上にアッラーのご満悦あれ)に家事一般をこなす召使がなぜいなかったのでしょうか?他の一般女性とは異なり、金(きん)で身を飾ることも禁じられ、現世のすべてのかざりから遠ざけられていたのはなぜでしょうか?

彼女は現世の上をいく崇高な見本でした。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ファーティマ様(彼女の上にアッラーのご満悦あれ)にそれを望まれました。ファーティマ様(彼女の上にアッラーのご満悦あれ)に禁じることにより後世の私達へのメッセージだったのではないでしょうか。
それは、きらびやかに飾ることを自慢してはいけない。世界中の1番素晴らしい女性は現世の欲や汚いものや飾りから遠ざかりすべての人の見本でなくてはいけない。もっと崇高なダウワを求める人のすることではない。特に貧しい人々に、現世を所有しなくても卑下してはいけないということを伝えたかったのでないでしょうか。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の死後半年後に彼女は病気になり亡くなりました。次のような説も伝わっています:晩年ご自分の死期を感じた彼女は、付き添いの方に水をかけるように言われました。ご自分でとても丁寧にグスルをされ、新しい服に着替えて、寝床を部屋の真ん中に移動させました。
キブラの方に顔を向けて、自分でグスルをしたので、だれにも私の肌を見せないようにと仰いました。 
ファーティマ様(彼女の上にアッラーのご満悦あれ)は、つつましい女性でアッラーと預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の愛情以外のものから断たれたお方です。
ファーティマの語源は、子供の乳を断つ(離乳させる)という意味なので、すべての現世のものから断つという意味にも取れるかもしれません。
「あなたがたの家に静かにして、以前の無知時代のように、目立つ飾りをしてはならない。礼拝の務めを守り、定めの施しをなし、アッラーと使徒に従順であれ。家の者たちよ、アッラーはあなたがたから不浄を払い、あなたがたが清浄であることを望まれる。」部族連合章33節


アッラーが、これを通じて、日本のムスリマ達に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)と彼の一族に対する愛情をくださいますように。アーミーン
また、日頃から私達ムスリマは、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への祝福祈願をたくさんしましょう。
<ハディース>
最後の審判の日(ヤウマルキヤーマ)に、私と共にいるのに最も相応しい人は、私のために最も多く祝福祈願をした人です。

2011年9月1日木曜日

「傲慢と頑固について」

今回も転載でーす!
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イスラーム学びチームよりお送りする今週のトピックです。
「傲慢と頑固について」

傲慢(ごうまん):おごり高ぶって人を見下すこと。また、そのさま。
高慢(こうまん):自分の才能や容貌が、人よりもすぐれていると思いあがって、 人を見下すこと。
          また、そのさま。
頑固(がんこ):かたくなで、なかなか自分の態度や考えを改めようとしないこと。また、そのさま。
                                          ・・・以上、国語辞書より

・傲慢な者は、害をもたらし、虚偽に固執します。なぜなら彼は人のアドバイスを聞かないからです。
・頑固な者は、自分中心で、間違いを認めず(間違いだとわかっていても認めず)、また後悔もしません。

・傲慢とは、妄想の上に成り立ちます。なぜなら、人間はみな過ちを犯し、他人にそれを指摘されて
 直す必要があるのに、それを認めないからです。

・傲慢は頑固へと導きます。
 《彼らは心の中でそれを認めながら、不義と高慢さから、これを否定した。》 (蟻章:14)

・傲慢の危険性は、それが強者から弱者へ、金持ちから貧者に悪影響を及ぼすことです。自らも迷い、
 また下の者をも迷わせるので、罪も二倍になります。

・アッラーは、傲慢な心には印を見せてくださりません。
 《また地上で正義を無視し、高慢である者については、われが啓示から背き去らせるであろう。それでも
  彼らはすべての印を見てもこれを信じない。また公正な道を見ても、それを自分の道としない。そして
  邪悪な道を見れば、それこそ真の道であるとしている。これは彼らは、わが印を拒否して、それを軽視
  しているためである。》 (高壁章:146)

(昨年7月8日、アキーダのテキストより)

日頃から心を柔らかくして、アッラーの印にもっと気づき、もっともっと感謝する僕になれますように。

2011年8月31日水曜日

ラマダーンが終わると一気に豹変(;´Д`)

タイトル通り…ラマダーンが終わると、自分は、嫌なくらい、豹変した…

ラマダーン中は、あ~、この月が終わってからも、キヤームッライルかタハッジュドでクルアーン完読できたらいいなぁ、とか、断食ってそんなにつらくないから、任意の斎戒を持った増やせたらなぁとか思っていて、実際に出来ると思っていた。

そしたら、シャッワール2日目からやろうと思ってた斎戒のためのサフールに起きれなかった―!!
いや、一度目は覚めたのだけど、アラーム消して、寝てしまったのだった…
(斎戒しなかった代わりに、美味しい昼飯とアイスクリームを日中いただけたのは幸せ。)

明日から、頑張る。

今夜から、某サイトを使って、語学学習再開。
毎晩出来たらすごくいいと思う…
(練習の提出すると、瞬時にレビューが返ってくるからスゴイ:D みんな暇なのか?)

2011年8月30日火曜日

2011年のラマダーン感想等近況

イード・ムバーラク☆昨日の晩の21時過ぎに、M市在住のL姉から携帯にお祝いの入電。ありがたかった。ジャザーハッラーフハイラン…そして22時には、前の晩に頭痛のため延期しておいた合同ドゥアーをustreamで。参加者数は最高で15名ほどか。まず初めに、ドゥアーのマナーや、叶うための条件、場所などの説明をした。次に、アルハムドゥリッラー、ムスハフ最終頁にある、ハディース由来のドゥアーを組み合わせた、「完読時のドゥアー」をアラビア語で読み、区切りの良いところで意訳を入れた。みんなどのようなドゥアーをしたのかな。みんなのドゥアーが最善の形で叶いますように。それぞれの望むことが一番良い形でアッラーが再現してくださりますように。アーミーン。

昨夜はこのような感じでドゥアーを終え、少しネットでPCをいじり、イシャーの礼拝をした。大切な五夜の一つということで朝まで起きていたかったけれど、本当にこの夜も頭が痛いのとプラスで微熱が出て体が辛かったため、0時から3時半まで仮眠を取った。ファジュル前にウィトルで礼拝を締め、簡潔にドゥアーを捧げ、イバーダを終えた。

今年のラマダーンは。やはり、暑さのため、マグリブまで元気ピンピンというわけにはいかず、特に週末は疲れをより感じた。期待していた痩身効果はどうかといえば、1kg程度減るに留まった。残念だけど、動かないからしょうがない。ただ、胃が日を追うごとに小さくなって行ったのには気づいた。食べられる量がずいぶんと減ったので。

書きたいことは、本当に、たくさんあったのだけど、このラマダーンは、こなすべきことが3種類ほどあり、それに時間も力も費やしたため、ブログの投稿ページを開くことなどできなかった。少し余裕が出来た今なら書く時間があるはずだが、意欲というか、ネタが纏まらない。

口調が暗めな感じがするのは少々仕方がない。今日はイードなのに、私の体調と機嫌が悪いからだ。まあそんな状態で思っていること(すべてではないけど)を書くのもいいかなと思い、ブログを開いた。

やっぱり、自分の意志、行為、心の中、希望など目に見えないことは、アッラーがいちばん御存知である。成してしまった悪行もその一つだけれど、今表現したいのは、こう、行き場のない言葉とか気持ちを御理解くださり、慈悲で覆ってくださるアッラーの大きさを知っている自分がどれほど恵まれているかと痛感していること。ただ、ただ、アルハムドゥリッラー、良かった…としか、言えない。アッラーの存在を知らなければ、いいえ、知って、かれに完全に頼ることが出来なければ、多分というか大きな確率で、弱い私はダメになっていただろうといつも苦しくなる度に、思うわけだ。

1か月先でもいいから、未来のことを知れたらどんなだろうか、とかたまに思うが、人間が未来を知れないことって、すごく、すごいことだと思うのだ。今の人間は、いろいろな発明や、道具、知識などで、我に勝るものなし顔でいることが多いが、その人間の力がどんだけ(人間の目から見て)優れていたとしても、未来は分からないし、人の生死に立ち入ることも出来ないわけで、この2点について熟考すれば、自分たちはやっぱり大きな力の手中にあるのだなあと気付けると思うのだけど。まったく益のない情報を載せたウェブページ上で議論する人たちなどを見ながら、未来が不可視であることなどを一緒に考えると、本当に、人間は馬鹿だなぁと思ってしまう。

やっぱり、人って、それぞれで、アッラーから与えられた才能や能力があることについても考えさせられている。絵の上手な人、作詞の上手な人、優しい人、厳しい人、料理のうまい人、文章書くのがうまい人、文章書けないけど、面白いネタを考えられる人など。自分は発想力に乏しい人だと思うのは、発想力に恵まれて、それをどんどん生かしている人を見る時だが、同時に、その人にはない才能を自分が持っていることに気づく。不思議な感覚だ。一人で何かを成そうとするのがいけないのだ。昔、自分一人に任された気になっていたのがいけなかったのだ。他人さまの能力や知恵、指示をどんどん仰げば良かったし、今後は大いにそうするべきなのだ。自分が今まで、頼られれば、精一杯、出来ることをしてきたのと同じように、自分も他に頼ればいいのだと思う。でも、図々しくない形は保たないと。

某国の恩師がかつて私たちにおしゃったことに、威厳を保てと。ここに書いて良いか分からないことだけど少し書く。恩師の威厳は、年齢のためもあり、かなりあった。一段以上、私たちの上にいらっしゃるというオーラだ。それがなければ、様々なことを恩師から学べなかっただろうと思う。その恩師が「威厳」を持ち、そして保て、と、ご助言くださった。保ち方はさておき、その心構えに私は恐れの気持ちを持つ。それが私にはとても難しく思えるどころか、苦痛にさえ最近思えてしまうのだ。これは最近の悩みである。先輩のアドバイスに従いつつ、自分の気持ちと状況を見ながら、調整中…

続きがあれば、インシャーアッラー、また次回に。

2011年8月20日土曜日

「他人に関して常に良い推測をすること」

無断転載ですが…大丈夫でしょ。
今の自分に強ーく効いたお話でした。

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イスラーム学びチームさんから届いた、

今週のトピック「他人に関して常に良い推測をすること」

ラマダーンも折り返しを過ぎ、そろそろ最後の10日間が迫ってきていますが、皆様のサウムはいかがでしょうか?タクワーの高まりを感じていますでしょうか?
皆さんもご存知のように、サウムの礼儀の一つに、悪口や陰口を避ける、というのがあります。ついつい表面的な他人の欠点や、不真面目な様子が目に付いて、思わずその人への批判を口にしてしまうことは、よくあることだと思います。アスタグフィルッラー。それからそういう行為は、たいていの場合、他人への悪い推測から導かれます。

イスラームでは、人を見たら常に「良い推測」をすることが大切です。悪人や他人の好ましくない行動や言動についても「内面は違うかもしれない」「自分よりも善い人になるかもしれない」と良い方向に推測し、善人や崇拝行為に熱心なムスリムを見れば「その素晴らしさは外だけでなく内面も一致しているに違いない」と推測しましょう。もちろん悪い行いをしている人には勧善懲悪やダアワすることはとても大事なことです。でもその際、自分がその人よりも上だと思ってはなりません。
もし悪口や陰口を言ってしまったら、アッラーにタウバする。そして相手に対し謝罪する。もしそれが不可能ならばその人に贈り物をするとか、良いことをするようにします。それも難しい場合、その人のためにアッラーにドゥアーしましょう。

常に自分に厳しく、他人に甘くしましょう。そうすることによって、悪口や陰口、そして他人を見下す傲慢な態度から離れることが容易になるでしょう。インシャーアッラー。
死者に関しても、彼らの長所を述べ、欠点を放っておきましょう。死ぬ前にタウバしたかもしれないのですから。

そして、聖なるラマダーン月をきかっけに、「良い推測」の姿勢を定着させましょう。