2011年8月31日水曜日

ラマダーンが終わると一気に豹変(;´Д`)

タイトル通り…ラマダーンが終わると、自分は、嫌なくらい、豹変した…

ラマダーン中は、あ~、この月が終わってからも、キヤームッライルかタハッジュドでクルアーン完読できたらいいなぁ、とか、断食ってそんなにつらくないから、任意の斎戒を持った増やせたらなぁとか思っていて、実際に出来ると思っていた。

そしたら、シャッワール2日目からやろうと思ってた斎戒のためのサフールに起きれなかった―!!
いや、一度目は覚めたのだけど、アラーム消して、寝てしまったのだった…
(斎戒しなかった代わりに、美味しい昼飯とアイスクリームを日中いただけたのは幸せ。)

明日から、頑張る。

今夜から、某サイトを使って、語学学習再開。
毎晩出来たらすごくいいと思う…
(練習の提出すると、瞬時にレビューが返ってくるからスゴイ:D みんな暇なのか?)

2011年8月30日火曜日

2011年のラマダーン感想等近況

イード・ムバーラク☆昨日の晩の21時過ぎに、M市在住のL姉から携帯にお祝いの入電。ありがたかった。ジャザーハッラーフハイラン…そして22時には、前の晩に頭痛のため延期しておいた合同ドゥアーをustreamで。参加者数は最高で15名ほどか。まず初めに、ドゥアーのマナーや、叶うための条件、場所などの説明をした。次に、アルハムドゥリッラー、ムスハフ最終頁にある、ハディース由来のドゥアーを組み合わせた、「完読時のドゥアー」をアラビア語で読み、区切りの良いところで意訳を入れた。みんなどのようなドゥアーをしたのかな。みんなのドゥアーが最善の形で叶いますように。それぞれの望むことが一番良い形でアッラーが再現してくださりますように。アーミーン。

昨夜はこのような感じでドゥアーを終え、少しネットでPCをいじり、イシャーの礼拝をした。大切な五夜の一つということで朝まで起きていたかったけれど、本当にこの夜も頭が痛いのとプラスで微熱が出て体が辛かったため、0時から3時半まで仮眠を取った。ファジュル前にウィトルで礼拝を締め、簡潔にドゥアーを捧げ、イバーダを終えた。

今年のラマダーンは。やはり、暑さのため、マグリブまで元気ピンピンというわけにはいかず、特に週末は疲れをより感じた。期待していた痩身効果はどうかといえば、1kg程度減るに留まった。残念だけど、動かないからしょうがない。ただ、胃が日を追うごとに小さくなって行ったのには気づいた。食べられる量がずいぶんと減ったので。

書きたいことは、本当に、たくさんあったのだけど、このラマダーンは、こなすべきことが3種類ほどあり、それに時間も力も費やしたため、ブログの投稿ページを開くことなどできなかった。少し余裕が出来た今なら書く時間があるはずだが、意欲というか、ネタが纏まらない。

口調が暗めな感じがするのは少々仕方がない。今日はイードなのに、私の体調と機嫌が悪いからだ。まあそんな状態で思っていること(すべてではないけど)を書くのもいいかなと思い、ブログを開いた。

やっぱり、自分の意志、行為、心の中、希望など目に見えないことは、アッラーがいちばん御存知である。成してしまった悪行もその一つだけれど、今表現したいのは、こう、行き場のない言葉とか気持ちを御理解くださり、慈悲で覆ってくださるアッラーの大きさを知っている自分がどれほど恵まれているかと痛感していること。ただ、ただ、アルハムドゥリッラー、良かった…としか、言えない。アッラーの存在を知らなければ、いいえ、知って、かれに完全に頼ることが出来なければ、多分というか大きな確率で、弱い私はダメになっていただろうといつも苦しくなる度に、思うわけだ。

1か月先でもいいから、未来のことを知れたらどんなだろうか、とかたまに思うが、人間が未来を知れないことって、すごく、すごいことだと思うのだ。今の人間は、いろいろな発明や、道具、知識などで、我に勝るものなし顔でいることが多いが、その人間の力がどんだけ(人間の目から見て)優れていたとしても、未来は分からないし、人の生死に立ち入ることも出来ないわけで、この2点について熟考すれば、自分たちはやっぱり大きな力の手中にあるのだなあと気付けると思うのだけど。まったく益のない情報を載せたウェブページ上で議論する人たちなどを見ながら、未来が不可視であることなどを一緒に考えると、本当に、人間は馬鹿だなぁと思ってしまう。

やっぱり、人って、それぞれで、アッラーから与えられた才能や能力があることについても考えさせられている。絵の上手な人、作詞の上手な人、優しい人、厳しい人、料理のうまい人、文章書くのがうまい人、文章書けないけど、面白いネタを考えられる人など。自分は発想力に乏しい人だと思うのは、発想力に恵まれて、それをどんどん生かしている人を見る時だが、同時に、その人にはない才能を自分が持っていることに気づく。不思議な感覚だ。一人で何かを成そうとするのがいけないのだ。昔、自分一人に任された気になっていたのがいけなかったのだ。他人さまの能力や知恵、指示をどんどん仰げば良かったし、今後は大いにそうするべきなのだ。自分が今まで、頼られれば、精一杯、出来ることをしてきたのと同じように、自分も他に頼ればいいのだと思う。でも、図々しくない形は保たないと。

某国の恩師がかつて私たちにおしゃったことに、威厳を保てと。ここに書いて良いか分からないことだけど少し書く。恩師の威厳は、年齢のためもあり、かなりあった。一段以上、私たちの上にいらっしゃるというオーラだ。それがなければ、様々なことを恩師から学べなかっただろうと思う。その恩師が「威厳」を持ち、そして保て、と、ご助言くださった。保ち方はさておき、その心構えに私は恐れの気持ちを持つ。それが私にはとても難しく思えるどころか、苦痛にさえ最近思えてしまうのだ。これは最近の悩みである。先輩のアドバイスに従いつつ、自分の気持ちと状況を見ながら、調整中…

続きがあれば、インシャーアッラー、また次回に。

2011年8月20日土曜日

「他人に関して常に良い推測をすること」

無断転載ですが…大丈夫でしょ。
今の自分に強ーく効いたお話でした。

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イスラーム学びチームさんから届いた、

今週のトピック「他人に関して常に良い推測をすること」

ラマダーンも折り返しを過ぎ、そろそろ最後の10日間が迫ってきていますが、皆様のサウムはいかがでしょうか?タクワーの高まりを感じていますでしょうか?
皆さんもご存知のように、サウムの礼儀の一つに、悪口や陰口を避ける、というのがあります。ついつい表面的な他人の欠点や、不真面目な様子が目に付いて、思わずその人への批判を口にしてしまうことは、よくあることだと思います。アスタグフィルッラー。それからそういう行為は、たいていの場合、他人への悪い推測から導かれます。

イスラームでは、人を見たら常に「良い推測」をすることが大切です。悪人や他人の好ましくない行動や言動についても「内面は違うかもしれない」「自分よりも善い人になるかもしれない」と良い方向に推測し、善人や崇拝行為に熱心なムスリムを見れば「その素晴らしさは外だけでなく内面も一致しているに違いない」と推測しましょう。もちろん悪い行いをしている人には勧善懲悪やダアワすることはとても大事なことです。でもその際、自分がその人よりも上だと思ってはなりません。
もし悪口や陰口を言ってしまったら、アッラーにタウバする。そして相手に対し謝罪する。もしそれが不可能ならばその人に贈り物をするとか、良いことをするようにします。それも難しい場合、その人のためにアッラーにドゥアーしましょう。

常に自分に厳しく、他人に甘くしましょう。そうすることによって、悪口や陰口、そして他人を見下す傲慢な態度から離れることが容易になるでしょう。インシャーアッラー。
死者に関しても、彼らの長所を述べ、欠点を放っておきましょう。死ぬ前にタウバしたかもしれないのですから。

そして、聖なるラマダーン月をきかっけに、「良い推測」の姿勢を定着させましょう。